2019/12/27(金)自分の中のモノサシ

理想は全ての人が自分なりのモノサシを持っているべきである。
ここでいうモノサシとは、様々な事象を自分自身で評価するための基準である。

このモノサシは日々の体験等から培われていくものであり、学校はこのモノサシを鍛えるためにあると言ってもいいのかもしれない。
これがあれば、他人の話も自分のモノサシではかり真偽を自分で判斷する事ができる。
しかし、モノサシをもたないと様々な話を鵜呑みにするしかなく正しいことを見つけられない。
実際にTVや雑誌等で様々なダイエットが示され、その根拠を確認せず色々試すような人はモノサシを持っていないのだろう。

モノサシをもたないと自分の判断が正しいという自信を持てない。
この為、次のような傾向がある。
  • 肩書のある権威ある人の話を信じ、得体のしれない人の話は信じない。
  • 自分の評価を他人に委ねる。
  • いいねが欲しい。
  • 否定的な意見が聞けない。
  • 流行り物等に乗っかりみんなと同じことをしようとする。

資本主義的にはこの様に御しやすい人が大人数いたほうが利益はあげやすい。
だが、人々の多様性には欠け、経済の成長や国の発展はしづらくなる。

学校ではbf:権威ある教員が様々なことを教えるのだから、ここできちんとモノサシを鍛えさせる必要があるのだが、それが出来ていない。
大学受験に通るための勉強をしているのでは点数が取れればいいだけになる為、学ぶことに意味が見いだせない。
その結果、肩書が重要になり、大学でどんな研究をしたかはあまり評価されない。
大学も教育機関としての役割が重要となり、研究機関としての役割を果たせなくなってきている。
文科省が大学に定員を守るように強く指導するがゆえ、受験は重要視され中身が薄くなる。

大学に入れば学生は自分の意志で好きに行動するのはいいと思うが、ミスコン等の加熱によりいろいろな問題が発生している。
そんな中、法政大学が公式にミスコンに対し否定的な発表を行った。

「ミス/ミスターコンテスト」について - 法政大学
https://www.hosei.ac.jp/NEWS/gaiyo/191129.html

ミスコンに法政大が「ノー」。ゴタゴタ続く慶応義塾大は… - AERA dot
https://dot.asahi.com/dot/2019120300063.html?page=1


本来、大学は学生の自主性に任せるべき立場を取るのだが法政大学はそこに切り込んできた。
法政大学のその姿勢は評価されるべきことだと思うが、別の味方をするとここまでしないと行けない状況であることも示している。

大学は私立も国公立も多額の税金を投入され運営されている。
国は大学のあり方を今一度問い直し、研究機関としての大学をきちんと立て直してもらいたいと思う。


個人的には次のようになると色んな問題が解決すると思う。
色んな問題も発生するが・・・。
  • 大学入試を廃止し希望する大学に全員入学させる
メリット
  • 大学合格の為、多額の費用がかからない。予備校や塾、滑り止めの入学金等
  • 大学入試の為、問題作成や採点などの費用が不要になる
  • 大学の学生の偏りが発生し、多くの大学の統廃合が進み税金の圧縮出来そう
デメリット
  • 大学の講義が大人数になり受けることが困難になる
  • 単位不認定の人が増え、退学者が増える
  • 大学の設備の問題
今現在でも退学者は一定数いるのでこれが加速すると思うが、
大学のあり方がこの国の行く末に大きく影響するので、誰か早めの改革をお願いします。
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